海外実績

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    • 寺庵料理教室(アメリカ)

        • 献立:うなぎ鰻の蒲焼きもどき、春菊と柿の白和え、小松菜と油揚げの煮びたし、
          野菜の味噌ヨーグルト漬け、ご飯、けんちん汁

        • 献立:メカジキの麹漬けの炒めバターかけ、牛肉のしぐれ煮、春菊と柿の白和え、
          野菜の味噌ヨーグルト漬け、きのこご飯、豆腐とワカメのみそ汁、さつまいもの茶巾絞り
          →レッスンの様子(寺庵ブログ)  →レッスンの様子(寺庵ブログ)

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        • 献立:秋の飛龍頭、さつまいもの芋けんぴ、青梗菜と油揚げの煮びたし、じゃが芋の団子汁

        • 献立:鰻の蒲焼きもどき、長芋とこんにゃくの辛子味噌和え、秋の塩麹ご飯、
          けんちん汁さつまいもの茶巾絞り
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    • NYの情報誌・新聞

    • 海外向け情報誌

      日本政府観光局(JNTO)が発行しているアメリカ合衆国向けフリーペーパーに紹介されました。各紙とも3万~3万5千部を発行されています。
        • 「ZEN LIFE IN TOKYO」特集ページで、寺庵精進料理教室が紹介されています。

          →CHOPSTiCKS NYホームページ

        • 「Zen Life in Tokyo」特集ページで、寺庵精進料理教室が紹介されています。

    • 海外テレビ取材

        • 6月9日開催のジャパンファウンデーションさん主催の精進料理セミナーの様子が、南カリフォルニアの日系コミュニティー情報番組で紹介されました。
          →YouTubeの動画はこちら

    • 企業概況ニュース

      「企業概況ニュース」は、在米日系企業のダイナミックな動きを伝える月刊ビジネス新聞です。 全米を網羅したビジネス情報、米国で活躍する日系企業人たちのインタビューやトレンド情報が満載です。寺庵は、2015年6月号より「精進料理で元気に!」というコラムを隔月にて担当させていただいております。
        • 精進料理は、日本においては、仏様(釈迦)に召し上がっていただくためのお供えが起源です。いまは亡き血縁や、敬愛する人などに向けて花や食物を捧げる文化は、古代から世界各地に見られると思いますが、精進料理は、仏様をお守りする役割を担う僧侶によって高度に様式化されました。仏様に供した食物やお料理は、あとで廃棄したりせず、謹んでいただく、という考え方が根本にあります。
          さらに、僧侶の修行のためにも殺生は避け(動物性の食材を使わない)、それでも、滋養や味覚の面では、厳しい修行を支え得る食材や調理法が創出されました。

          このように、お供えであるとともに、修行僧の心とからだを支える食事となった精進料理が、今日では、ダイエットをする人、いや、多くの現代人に見直されているのは、なぜでしょうか。

          精進料理はダイエット食ではありませんが、現代人の健康を支えるとすれば、こんな理由が考えられます。

          一、供する相手、供してくれた人に対して畏敬の念を示す
          そのことは、食材や食事にきちんと向き合うことを意味する。

          パソコンやテレビと向き合っての食事は、この精神からは外れます。

          二、「ながら食い」をやめ、食事と向き合うと、食材の形状、色つや、味つけ、盛りつけ、食器などから多くのヒントを得ることができる
          それによって食事の満足感を高め、ぜいたくや過剰を避ける感受性が増強される。それは、懸命に生きる自分と向き合う機会にもなる。

          以上のように、精進料理は、食材の一つ一つに格別な秘密があるのではなく、「食」とのかかわり方に深い意味があるのです。人間にとっての「食」は、エネルギーや栄養素を補給して生命を維持するだけが目的ではなく、安らぎを補給し、からだと心を養うものとなっています。
          精進料理の心は、どこに住んでいても、どんな食材を食べている人にとっても、有効な健康食、ダイエット食になり得るのです。

        • ◆八百年の伝統食
          精進料理が基本とする一汁一菜(いちじゅういっさい)とか三菜とかの献立の形は、今から八百年前、鎌倉時代から始まったとされます。その意味は、ご飯に汁、おかずを一~三品ということ。主食のご飯は当然のこととして、「一汁一菜」に含めていません。厳密に言えば「一飯一汁一菜」ということになります。

          汁を「じゅう」と読み、おかずを「さい」と呼ぶのは庶民感覚からすると不自然です。当時、漢字を音読みした階層といえば、僧侶や一部の教養人です。
          僧侶の場合は、基本的には一汁一菜でした。経済的な理由もありましたが、さらに戒律を守る意味もありました。庶民の生活も同様で、「一汁三菜」などは格別なメニューであったと、研究者も述べています。

          真宗高田派の「寺族教本」には、行事食の「報恩講」の「お齋」(おとき)として一汁三菜の記述があります。「お齊」(時の意味も)とは午前中に食する食事のこと。当時の僧侶は午後の食事を慎みました。転じて祭事に寺が檀家の人にふるまう食事のことなども指すようにもなりました。

          ◆世界のどこにいても
          精進料理のイメージをつかんでいただくために、現在、自坊(筆者の寺)での献立例をあげてみましょう。

          《飯》まつたけご飯
          《汁》豆腐、ほうれん草、なめこのみそ汁
          《平》がんもどき、にんじん、里芋、しいたけ、高野豆腐の炊き合わせ
          《木皿》栗の甘煮
          《猪口》(ちょく)大根とにんじんの酢の物
          《香の物》奈良漬

          精進料理の献立の今日的意義は、一人一人の食事の量と栄養的バランスとが簡単に把握できる点です。ここが大皿盛りの料理を取り分ける食文化と異なる点。
          日本人は、自分用の茶わんや箸、そして献立の配置などによって、無意識的に自分の食事量を把握し、コントロールできるのです。
          この健康維持システムは、世界のどこへ行っても活用可能。日本が世界的な長寿国である理由は、この食文化の形にもあるようです。

        • ◆修行僧の食事
          新しい年が始まり、落ち着いたころ、一月十五日は日本で小正月と言われています。その日は寺や神社で小豆粥を食べ、邪気を払い、一年の無病息災を願います。
          禅寺の修行では毎日の朝食にはお粥をいただいています。禅の長い歴史から現代に至るまでずっと続いています。
          禅宗寺院には、修行僧の心構えと、具体的な方法が書かれた書物「赴粥飯法(フシュクハンポウ)」があります。
          そこには僧堂に入り、朝食の粥や昼食の飯のいただく作法が書かれています。
          粥時(しゅくじ)とは、朝食の時間のことで、朝食に粥(かゆ)を食べるので朝食のことを粥(しゅく)と呼びます。
          斎時とは昼食の時間のことで、昼食を斎(さい)と書きます。

          ◆粥の功徳
          その粥について、「粥には十(とお)の功徳がある」と記されています。

          一、血色を良くする。
          二、力を得る。
          三、寿命を延ばす。
          四、苦痛がない。
          五、言葉がはっきりする。
          六、胸のつかえが治る。
          七、風邪が治る。
          八、空腹が癒える。
          九、喉の渇きが消える。
          十、大小の便の通じがよくなる。

          修行僧は食事により、この功徳を受けることができます。
          厳しい修行を続けられる体力があるのもの、朝のお粥のおかげでかもしれません。

          ◆現代人へのお粥の勧め
          現在、お粥を食べるのは、「体調が悪い時や病気をした時だけ」とよく聞きます。
          それはもったいない話だと思います。お粥はお腹から温まるので、すぐに満足感やリラックス効果が表れます。また、上にのせる具や玄米を混ぜると食物繊維もとることができます。
          また、ダイエット効果も期待できるのではないでしょうか。
          ストレスで体を崩した方もいらっしゃると思います。そんな時には是非、朝にお粥をいただいてみてはいかがでしょうか。
          忙しい時にもちょっとホッとできるのではないでしょうか。
          シンプルで飽きが来ないお粥だからこそ、心にも栄養になると思います。習慣にしてみませんか?

        • ◆食事が不規則になる事情
          精進料理のルーツである修行僧の食生活では、食事の時刻を大切にしていることを、前回の朝粥のお話の中でもいたしました。
          食事時刻を守ることは、集団生活においては基本中の基本。それを中心にタイムスケジュールが組まれることが多いようです。
          家庭生活も、同居家族との集団生活にほかなりませんが、先進諸国の家庭では、個々人のライフスタイルを尊重するあまり、ともすれば食事時刻まで個人任せにしがちです。電子レンジなどの調理器具の普及、外食や中食(テイクアウト食品など)の普及も、「個食」を促進してきました。
          昔は、熱源が薪や炭火であったため、加熱調理が仕上がったらすぐに、そろって食事をする必要がありました。再加熱の手間やコストを考えれば「個食」を許す余裕はなかったのです。

          ◆朝食抜きのリスク
          個人の自由度が増すのは喜ばしいことですが、食事時刻の不規則は、動物としての人間の生理的リズムを狂わす一因になります。心臓の拍動も肺臓の呼吸も、消化器官の各部位も、一定のリズムを刻んでいることはいうまでもありません。

          最近、国立がん研究センターが、朝食をとらないか、とっても週に2回以下の人は、そうでない人よりも、脳卒中や心疾患のリスクが14~36%ほど高い、という調査結果を発表しました。8万人以上を対象とした大きな調査で、信頼性のあるデータです。
          それによると、朝食の習慣は、朝の生理的血圧上昇や空腹ストレスによる血圧上昇を抑制する、とのこと。
          それに加えて、一日二回以下の食事では、一日に必要な栄養素がとりにくいことはすでに明らかになっており、改めて食事の意味、定刻に食事をとることの意味を再認識させられます。

          ◆知識人としての弱点に
          規則正しい食習慣を「修行僧のようで堅苦しい」と思ったり、そもそも食事を忘れたり、食事時刻に無関心であったりするのは、動物的感性の欠如ということに加えて、医学的・栄養学的インテリジェンスの希薄という点でも、知性ある人にとってはウイークポイントになり得ます。
          それでもあなたは、朝食を抜き続けますか、パソコンとにらめっこしながら食事をし続けますか。

        • ◆頭を使う人の認知症
          近年、日本では高齢化が進み、認知症になる人が増えています。テレビでは予防のための番組が生まれたりもしています。60歳代の週刊誌ライターの例が紹介されていました。日々、多くの人と会い、取材をし、記事にまとめるという、知的な仕事をしていたのに軽度の認知症を発症したとか。
          脳は、難題に直面したとき、それを解決するルートを獲得すると、すぐに慣れて、以後はあまり負担を感じずに問題を処理するようになる、とのことでした。
          コンピューターで複雑な仕事をしている人も、「脳トレ」と称するドリル式の問題を日課にしている人も、それだけでは認知症予防としては充分ではない、ということになりそうです。

          ◆食事で人生を支える
          私は僧侶であるとともに管理栄養士でもあります。そのため、精進料理としてお出しするお料理について「このお食事、たんぱく質もとれますね」「このお野菜で食物繊維が補給できそう」などと、それとなく確認されたり聞かれたりします。
          食事は、基本的には栄養素とエネルギーを補給することにありますが、ここまで進化した人間にとっては、それ以外のいろいろの意味が出てきます。修行僧のように信仰を深める目的とすることがありますし、多くの社会人のように、交際の場としたり、気分転換の機会にしたりもします。
          しかし、動物である以上、食事と睡眠は、ライフスタイルの基軸になります。それらが乱れると健康維持のリズムも狂ってきます。

          日本では「ライフスタイル」を「生活習慣」と同じ意味で使う人が多いのですが、英語の「ライフスタイル」には、人生観や生き方の意味もあるようです。
          栄養士が栄養素の補給の意味だけを説く時代は終わろうとしています。でも、栄養士が人生の意味を説くのも無理なこと。そこで、食事の栄養補給以外の意味、一日三回、定刻に安らぎの補給をする意味、気分転換の意味、人とのコミュニケーションをとることの意味などを説いて、美しいライフスタイルを意識するきっかけにしていただきたいと願っています。栄養士の仕事は、人々の人生を、楽しく、豊かにするための後押しにあると思っています。

        • ◆「栄養バランス」の意味
          今回は、管理栄養士として、「栄養バランス」のお話をさせていただきます。
          「精進料理をする人はベジタリアンですか」と聞かれることがありますが、「ふだんは日本人として一般的な食事、つまりお魚もお肉もいただいています。
          それが現代人の心とからだの健康の保ち方と思っているからです。

          さて、「栄養バランス」とは、よく使われる言葉ですが、「その意味は?」と聞かれると、首を傾げる人が多いのではないでしょうか。
          先進国の多くは、国民が一日にどんな食品をどれくらいとればよいのかを示す指針を持っています。日本人は健康意識が高く、それは世界でトップクラスの長寿国ということにも現われていますが、それでも、一日にとりたい食事量の目安を把握し、実践している人は多いとはいえません。

          ◆「食生活の地図」を持つ。
          ここにご紹介するのは、国が定めた摂取栄養素の目標量を、女子栄養大学の創設者・香川 綾(あや)博士が、食品の重量や概量に置き換えて図表化したものです。それは「食生活の地図」といってよいでしょう。一日にとりたい食品を四つに分類してあるので、「四つの食品群」と呼んでいます。

          第一群 卵一個、牛乳をコップ一杯(ヨーグルトなら一容器)
          第二群 魚一尾または肉製品(合わせて二皿くらい)
          第三群 野菜350㌘と芋類一個。くだもの一個。

          ここまでが、成人に最低でも必要とされる栄養素をとるための群です。
          そして、次の第四群は、摂取エネルギーをコントロールするのに大事な群です。

          第四群 穀物、油脂、砂糖、アルコール、嗜好品など。

          上記のうち、穀物や油脂は毎日欠かせない食品ですが、砂糖やアルコール、嗜好品は、とらなければならない食品ではありません。しかし、もしとるなら、この群に含めます。体重のコントロールはこの群の食品を増減して行ないます。

          スペースの関係で、重量を目安量で示しましたが、今回は、成人が、毎日、どんな食品を、どの程度とればよいのかを頭に入れていただければよいでしょう。
          実際の利用法について、は次回にお話します。

        • ◆千種類の食品の選び方
          前回は、「一日に何をどれくらい食べればよいか」という「食の地図」についてお話しました。正しくは「四群点数法」といいます(点数法についてはおってご紹介します)。
          地域や国によっても違いますが、人間が数年間に食べる食材や食品、料理は、数え方にもよりますが、千種以上と推定されます。そんなに多くては、普通に生活している人では、栄養効果を考えて選んでいるヒマはありません。

          しかし、人間が必要とする栄養素のレベルで分類すると三~四グループに要約することができます。
          前回からご紹介している「四つの食品群」では、四グループに分ける考え方です。先進諸国の栄養学者は自国民が一日にどれくらいの栄養素をとればよいかということを長い年月かけて研究し続けています。
          日本では「食事摂取基準」として、男女、年齢、身長別に、摂取すべき栄養素のスタンダードとなる数値を定期的に見直し、公表しています。
          しかし、一般人には、「たんぱく質は何グラム、脂質は何グラムとりましょう」といわれても、食品の量としてはわからない。
          そこで、香川 綾先生(女子栄養大学創設者)が昭和の全時代をかけて、食品に置き換えた量を示し、それをとれば最低限の「栄養バランス」は保たれると説き、それを普及してきました。

          ◆卵と牛乳がトップのわけ
          そのおかげで、私たちは「きょうは牛乳を飲んだかな?」「肉を食べたかな?」というように、セルフチェックができるようになりました。食生活の歩き方がわかるのですから「食の地図」といってよいのでは?

          「それにしても、なぜ最初に卵と牛乳がくるの?」と聞かれることがあります。

          それは、卵や牛乳が、生まれてきた動物の生命をそれだけで支える「栄養食品」だからです。昭和時代の前半は、日本人の栄養状態は低迷していました。そこで香川先生は、栄養素がバランスよく含まれる卵と牛乳をトップバッターに据えて、なかなかとれない多様な栄養素の一部がとれるようにと、彼らに託したのです。

          第一群の「卵一個」、「牛乳をコップ一杯」、「ヨーグルトを小鉢一杯」という目安は、栄養状態改善の切り込み隊の意味があったようです。

        • ◆精神性と科学性
          今回も「精進料理」からは少し離れて、「食の地図」についてのお話を続けます。その理由は、精進料理が心を安らかにする、精神性を重んじる食事法であるのに対して、「食の地図」は近代栄養学を基礎とする食事法です。精神性と科学性、これはけっして対立するものではなく、現代人の食事観や食事法を補完し合うものと思います。

          ◆外国暮らしの悩み
          さて、前回は「食の地図」の第一群の食品について説明しました。かつて卵は、血中コレステロール値を高める食品、つまり動脈硬化のリスクになる食品として敬遠する人がありました。

          しかし、血中コレステロールは、摂取した食品からストレートに移行するものではないと、多くの学者や医師が説き、いまは適正な量(一日1~2個程度)であれば、ただちに動脈硬化のリスクにはならない、ということが常識になりました。もっとも、卵の量だけで健康度を判断するのは誤りで、一日に何をどれだけ食べているかを把握した上で判断するのが栄養士の基本的な視点です。

          日本人が外国で生活する場合、食事環境がこれまでのものと異なるため、「何をどれだけ食べたか」の判断ができなくなることがあります。こんなとき、「食の地図」を持っていれば、「このオムレツは卵三個分くらい使ってあるな。ならば、二人でシェアしよう」あるいは「ほかの食品(たとえば肉)を少量にしておこう」という判断ができます。

          反対に、「きょうは、朝、昼とも卵を食べていないので夕食には卵を食べよう」という判断もできます。

          ◆視野の広さに誇りを
          世界中の男性の食事観を把握しているわけではありませんが、一般的傾向として、仕事や社会活動、余暇活動に没頭している男性には、食事のコントロールに無関心の方がおられます。

          しかし、現代人の頭脳をもってすれば、仕事にも社会活動にも、余暇活動にも、家族や友人・知人とのつき合いにも、食事や健康管理にも関心を示すことはできるはず。それは、充分に知的なライフスタイルに見えるのですが、いかがでしょうか。日本が世界のトップクラスの長寿国であるのは、遺伝によるものではなく、知的で、かつ心身をコントロールする実践力によるもではないでしょうか。

        • ◆自分のスタンダードを
          前回では、成人の事務職や家事をする主婦程度の労働量の人は、一日に卵を一個、牛乳コップ一杯とヨーグルト小鉢一杯くらいを目安にするとよい、という「食の地図」の一端をお示ししました。

          あくまでも基準ですから、ときに一日に卵を三個食べる日があったとしても、体調を悪くすることはありませんし、逆に、一つも食べない日があったとしても、ただちにパワー不足になることもないでしょう。

          牛乳や乳製品も同様です。右にあげたとおりではなく、牛乳コップ二杯をスタンダートとしても、栄養的な問題は起こらないでしょう。

          毎日、仕事や生活のことに全力投球している人の中には「きょうは、卵を食べたか、牛乳を飲んだかなんて、そんなことを考えてヒマ、あるわけないじゃん」とおっしゃる方がきっとおられることでしょう。

          ◆からだは、必要な栄養素を自然に求める?
          そこで、話が少し変わりますが、こんな話をお聞ききになったことはありませんか。「人間のからだは、必要な栄養素を自然に欲するようにできている」と。

          これは大きな誤りです。もしそうであれば、人間は石器時代から高齢社会になっていたはずです。医学知識がなかったということもありますが、それ以前に、必要な栄養素がとれず、現代から見れば栄養失調状態だったので、当時の平均寿命は30歳代後半くらいだった、といわれています。「からだは、必要な栄養素を自然に欲する」ようにはできていなかったのです。

          いま、私たちの平均寿命が延びているのは、医学や栄養学、その他の学問の発展のおかげです。
          人間は、「頭で食べる」ようになったのです。一日に、何を、どれだけ食べればよいのか、先進国の多くは、国民のために、たいてい食事のガイドラインを示しています。

          そういうものを活用しないのは、地図を持たずに未知の地域を旅するのと同じ。目的地に着けないことがあったとしても、当然と思われることでしょう。
          現代人の知力、体力からすれば、仕事をテキパキとこなす頭脳は、同時に、一日に、何を、どれくらい食べるか、ということを考えるくらいは軽々クリアします。多様性が大好きな脳を甘やかすことは、脳のために、というよりも、ご自分の知力、体力のためにも有利とはいえないと思います。

        • ◆日本人の「献立力」
          「精進料理」では「一汁一菜」を食事の最小単位としています。いえ、修行僧はこれが食事のすべて。

          「ご飯はなし?」という疑問は、日本人なら抱かないことになっています。日本人にとっては、ご飯があるのは当然のこと、ご飯という主食があって、それに汁物とおかず一品がつく、というのが約束事です。

          しかし、日本食が国際化した今日、これからは「一飯一汁一菜」という必要があるでしょう。ちなみに、修行僧の場合、主食はお粥でした。いずれにしろ、この「献立」の形は、日本人の健康を支えるベースになっていると言えます。
          子どものときから反復して刷り込まれるので、日本人は無意識的に食事の形を覚えます。「きょう、おかずがもう一品ほしいな」などと献立を補充します。

          ◆なぜ牛乳なのか
          「一汁一菜」の定番も、時代が進むと、生活に余裕が出てきた階層では「一汁二菜」や「一汁三菜」が可能になりました。「三菜」とは、おかずが三品のこと。

          さらに時代が進み、明治から大正、昭和にかけて西洋の栄養学が入ってくると、健康度を上げるためには、「一汁三菜」以外にも、加えたい食品があることを知ることになります。

          その食品の一つが、前回お話しした卵であり、きょう取り上げる牛乳・乳製品です。前々回から話題にしている「四つの食品群」では、卵と牛乳・乳製品を第一群に含めています。牛乳は日本人にはなじみのうすい食品でしたが、子牛がそれだけでしばらくは生きられる、栄養バランスのよい食品と知って、卵といっしょに第一群とし、真っ先にとりたい食品としました。日本人には不足しがちなカルシウムの補給源としても価値があります。

          成人が一日にとりたい牛乳の量は約200㏄、それとプレーンなヨーグルトを紙容器一個程度。「乳製品」といっても、実際にはこの範囲。チーズもいいのですが、塩分が多いので、「とりたい食品」からは除外してあります。もし召し上がった場合は、第一群の食品としてカウントします。

          卵一個と牛乳をコップ一杯、それにプレーンヨーグルト。以上が「四つの食品群」でいう第一群の食品。これらをとることで、栄養素の充足率はかなりよくなります。

        • ◆怪しい食情報
          寺の坊守であり、精進料理教室の主催者であり、管理栄養士でもあるという立場から、いましばらくは栄養学的なお話をさせていただいています。

          さて、世間の食情報の中には「青み魚は脳の活性化を促す」とか「トマトに含まれるリコピンは血中コレステロール値を下げる効果がある」とかという情報が少なくありません。

          ある食品の微量成分に着目して、それによる健康効果を過大に評価する考え方を「フードファディズム」といいます。「食品についてのご都合主義」と訳す人もいます。少なくとも近代栄養学を学んだ者は、こういう考え方をしません。

          健康効果を過大に評価するばかりでなく、青み魚やトマトが、からだにいいとして、どれくらいの量を、どれくらいの頻度でとったらよいのかが示されていないのでは話になりません。さらに、「青み魚」とそうでない魚の区分さえはっきりしていないのです。

          ◆確かな地図がほしい
          こういう非論理的な発想で食事を考えるのは好ましくない、という考え方が根底にあって、ここまでお話ししてきた「四群点数法」という食事法が考案されています。つまりは「食の地図」です。精度の高い地図のように、東西南北の関係、A地点からB地点までの距離に当たるものが示されているのが「食の地図」です。

          ◆肉は1日50グラムが基準
          今回は「四群点数法」の第二群のご説明。第二群は、人間の筋肉や血液の原材料になる肉、魚、そして大豆製品。良質たんぱく質を含む食品群です。一日1,600キロカロリーくらいを適量とする人(家事をする女性や事務をする小柄な男性)の摂取基準は、魚50グラム、肉50グラム、豆腐2分の1丁。種類を分散してあるのは、栄養素の多様性を保つため。

          それにしても50の肉や魚はいかにも少ない。
          卵一個の重量です。働き盛りの男性なら、一日2,500キロカロリー以上は必要でしょうから、魚や肉をもっと増やしてもよい計算になりますが、四群点数法では、第一群から第四群までの食品全体の中でバランスをとるという考え方なので、一気にここだけを倍にする、という方法はとりません。くわしくは、回を追ってご説明します。

          ちなみに、日本人の一日の肉の平均摂取量は約48グラム、魚介類は約80グラム。これに対してアメリカ人は肉約120グラム、魚介類約28グラムというデータがあります。

        • ◆野菜はヘルシー?
          仏教とともに伝来した精進料理の現代的意味についてお話しするうえで、現代人の栄養環境についても知っておいていただきたいので、もうしばらく、「食の地図」(四群点数法)について、ご説明させていただきます。

          そこで、日本では「野菜はヘルシー」という人が少なくありません。飲食店でも「ヘルシーな野菜カレー」などとアピールしていることがよくあります。

          栄養学的にいえば、食事としてとる食品で、ヘルシーでないものはない、といえます。問題はそのバランス。「ヘルシー」といわれる野菜でも、基準もなく食べれば、それだけで満腹したり、逆に、好ましい量を下回ったりもします。

          「栄養バランス」とは、個人にとって適量となる食品の種類と量のことです。その基本となる量は、重量で示すことができます。すでに、一日にとりたい卵や牛乳(第一群)、肉や魚(第二群)の量については、ここまででお話ししてきました。今回は第三群の野菜と芋、くだものです。

          ◆一日350グラムが目安
          食の地図である「四群点数法」では、一日にとる野菜の基本量は350グラム。トマト一個、にんじん二分の一本、玉ねぎ一個、大根、なす、キャベツなどです。
          350グラムとは、両手の平に山盛り一杯程度。一度量ってみれば、意外に少ないことに気づかれるでしょう。
          野菜はビタミンCやカルシウム、食物繊維などの供給源になりますが、このうち、緑黄色野菜と呼ばれる野菜は、カロテンを多く含みます(体内でビタミンAの効果)。そこで、350グラムのうち150グラムは緑黄色野菜でとるようにすすめています。にんじんやトマト、ほうれん草などですが、インターネットで検索すればその種類がわかります。

          「第三群」には、このほか芋類とくだもの、それにきのこや海藻が含まれます。
          一日にとりたい量は芋(じゃが芋、里芋など)、そして、くだものをそれぞれ一個または一人前くらい。これも栄養学的に計算されている量です。
          きのこ、海藻については、常食するものではないので「適量」としています。しかし、とる価値のある食品です。

        • ◆「第四群」は穀物群
          前回までで、「食の地図」の第一群から第三群までの食品の種類と、最低限とりたい量についてお話ししました。この地図が頭の中にあれば、世界のどこででも、いや宇宙ででも食生活が送れます。

          ただ、いままでご紹介した食品は、主に一日に必要な栄養素を基準とした食品の摂取目標でした。

          これだけで済まそうとしたら、どなたも空腹感でやっていけません。「食の地図」では、そういうことがないように、エネルギー補給を中心とした食品群を用意しています。それが第四群に分類される食品です。

          ◆「一汁三菜」の意味
          第四群は、ご飯、めん、パンなど、穀物を中心とする食品群です。ご飯、めん、パンなど、穀物が中心です。日本人は主食(穀物)、主菜(メインのおかず)、副菜(おもに植物性のおかず)という、食事の基本パターンをシステム化しました。
          欧米人には、「主食」と「おかず」という分け方はないようです。日本人が「一汁三菜」(いちじゅうさんさい)というとき、主食のご飯が入っていません。それは当たり前のことで、言うまでもないというわけです。

          ご飯があって、汁があって、おかずが三品、これが現代日本人の基本パターンとなっています(精進料理の場合は一汁一菜の修行パターンですが)。アメリカ生活をしていると、いつの間にか「主食とおかず」というパターンを忘れてしまうのではありませんか。

          ◆「おかずっ食い」の戒め
          ご飯(またはめん、パン)を中心に献立を考えるという発想は、栄養学的に考えると利点があります。穀物を先にお腹に入れてしまうと、おかずは、そうそう食べられない。500グラムのステーキなど、だれもが食べられません。日本では、昔はおかずばかりを食べると「おかずっ食い」といって親から叱られたりしました。

          結果論ですが、日本人の「主食とおかず」パターンは「日本型食事」といわれ、長寿国となるおもな一因とされるようになりました。

          日本人の主食には、それだけで満腹感、満足感を生み出す生理的、心理的効果があったのです。

        • ◆メイン食品は穀物群
          「精進料理」シリーズの途中で、現役の管理栄養士として、「栄養のバランス」についてお話ししています。

          ここまでお話を整理すると、毎日とりたい食品は、第一群として卵と牛乳。 第二群として肉や魚、大豆製品。(一日に一皿当て) 第三群として野菜(淡色と緑黄色)、芋、くだもの、きのこ、海藻。 第四群として、穀物(ご飯、めん、パン)、油脂。

          たくさんある食材も、栄養的にはこの四パターンに集約できます。
          これらを表示量どおりとれば、栄養的なバランスをとることができます。
          設定エネルギー量を1600キロカロリーとしているので、家事や軽い事務をする女性の一日のエネルギーを充足します。

          ◆エネルギー+栄養
          ですから、男性や、労働量の多い女性では、空腹感が残りますし、やせてしまうこともあるでしょう。そのような空腹感やエネルギー不足を補うのが第四群の食品です。日本人が言うところの主食、つまり、ご飯、めん、パン。それらを、それぞれの人の適量(体重が増えない程度の量)をとれば元気に過ごせます。さらに、第四群の食品はエネルギー源になるだけではなく、たんぱく質や繊維、ビタミンE、糖質などを含んでいるので、栄養的価値も無視できません。

          ◆お酒を飲む余地あり?
          それに、この第四群には、砂糖やお菓子などの嗜好品、清涼・アルコール飲料なども含まれます。栄養的には低価値だとしても、「心の栄養」という点では無視できない食品です。それに、エネルギー量が軽視できないので、第四群に入れて、その量をコントロールしようというわけです。「四つの食品群」では、一日1600キロカロリーという最少量ながら、栄養的なバランスはとれるようにしているので、エネルギー量としては、まだ余地があるのです。そのプラスアルファ部分は、個人のオプションでどうぞ、ということです。そのため、ときに「第四群を全部お酒と置き換えたい」という人がいらっしゃいます。でも、穀物とは栄養価が違うので、「全とっかえ」はできないのです。

        • ◆外国の人の関心
          「一日に何をどれだけ食べたらよいか」というお話を、栄養士として、少し寄り道をしてお話しさせていただきました。

          ここからは、連載テーマに戻って、お話を続けさせていただきます。

          このごろ、海外のメディア(イギリスのテレビ局など)や、日本の芸能関係の方からの取材、外国の方の受講申し込みなどを受けることが多くなりました。その目的は、日本の食文化への関心ですが、同時に、精進料理がなぜヘルシーなのかを確かめるとか、ダイエット効果を期待するとかの意味もあるようです。

          しかし、みなさんが真に求めているのは、もう少し深いところにあるようです。初めての分野ですから、ご自分の真のニーズを言葉にできないのはやむをえないことです。

          ◆「安らぎ」の補給
          精進料理を一言で表現すれば「殺生(せっしょう)を控えた食材によって調える、一汁一菜を基本とする日本の伝統的食事の形態」となりますが、現代的意味はもう少し深くて広い。
          昼夜にわたり活動的な現代人が、肉や魚、卵や牛乳、バターなどの動物性食品をいっさいとらない生活をすることは不可能です。

          しかしそれだからこそ、しばし、そうしたパターン化した生活のリズムを変え、心身の安定を図る意味がある、それはアスリートが行なう「インターバルトレーニング」に匹敵します。長距離ランナーなどが、意識的に緩急をつけて走ることによって持久力をつける方法ですが、人生においても、この緩急は不可欠なこと。

          趣味や旅行、季節の行事、信仰、深呼吸などは、まさしく「緩」(「かん」=ゆるやか)によってモチベーションを更新する手段です。

          精進料理では、食シーンを静かで落ち着いた場とします。ここでは商談やゴシップ会話は禁止です。そして、季節感を大切にします。庭の風景、使う食器、お料理の食材、さらには食事を供する人のお召し物に至るまで、その季節らしさに気をつかいます。それらは古い風習の踏襲ではなくて、現代人の健康度を高める、科学的に説明できる「安らぎ補給法」なのです。

        • ◆生食はない精進料理
          精進料理の特徴の一つは植物性の食品だけを食材にすることですが、その中にも、ねぎや玉ねぎ、にんにく、にら、らっきょうのように、香りや味の強いものは、煩悩を刺激するという理由で避けた時代もありました。いまでも、使わないのが普通です。

          ところで、精進料理では、欧米のように野菜をサラダのように生で食べることはありません。
          漬け物は、加熱していないという点では生野菜ですが、一定期間、味噌やぬか、塩などに漬けておくという点では、サラダとはやや異なります。

          余談ですが、民族学の権威、石毛直道先生は、日本では英語の「cook」を「料理」と訳しているけれど、「クック」は加熱することを前提にしているので、日本の刺身などは欧米の料理の定義には当てはまらないということで、独自の定義しておられます。

          ◆「和える」サラダ風
          さて、精進料理における野菜料理は煮物が中心になりますが、ほかに、加熱後、味噌やゴマ、酢などで和えることも多い。平和の「和」という字を使って「あえる」と読む表記法は、この料理用語以外、現代日本語にはありません。「和」には加える、合わせるという意味がありますから、英語でいうドレッシングに近い意味、つまり混ぜ合わせることです。12世紀末に書かれた『今昔物語』には「和える」が出てくるそうですから、伝統ある日本語です。

          ◆煮物から漂うぬくもり
          野菜を煮るのは、食べやすく、おいしくすることが目的ですが、副次的効果として、煮物から広がる湯気や香りが、家庭にぬくもりを漂わせます。いため物でも同じですが、煮物のほうが湯気の漂う時間が長い。その香りを家族が感じて、「そろそろ食事時刻だな」と心の準備をします。

          「煮物をする家庭は円満」と言った人がいます。土を落としたり、皮をむいたり、力を入れて切ったりと、手間も時間もかかる煮物を、憎らしい家族のためには作らないでしょう。

          もっとも、この法則(?)は、マンション生活の方や外国暮らしの日本の方に当てはまるのでしようか。

        • ◆女子高生のスリム志向
          去る三月末、国立青少年教育振興機構というところが発表した、高校生の生活習慣に関する調査に、こんな項目がありました。日本、アメリカ、中国、韓国の女子高校生5,800人を対象に、自分の体型をどう思うかについて尋ねたところ、日本の女子高校生の51・9%が「太っている」と答えました。しかし実際には、体格基準で「肥満」とされる人の割合は5%。一方、アメリカの女子高校生では「太っている」と答えた人は19・7%。実際の肥満割合は24・6%。

          アメリカの女子高生は、冷静に自分の体型を認識しているのに対して、日本の女子高生には強いスリム志向であるようです。

          ◆男性が太り気味のわけ
          さてここからは、日本の成人男性の肥満度について考えてみましょう。

          別のデータで日本人の肥満割合を見ると、30~50歳代男性では、3人に1人弱が肥満。以降、40代、50代でやや増えます。ところが女性では、30代で約7人に1人、40代では約5人に1人とスリム傾向が安定。

          女性のスリム志向をメディアやファッションモデルの影響とする説が有力ですが、そうではなくて、女性のライフスタイルが「家事専業・ぽっちゃり型」から「オフィス・スリム型」または「都市型」へと変化したという、文化的要因が大きいとする説もあります。
          とすると、とっくに「都市型」になっている男性に肥満割合が高いのはなぜなのか。その解釈として、男性には同じ能力ならば体型は少しでも大きいほうが有利という、いわば本能が残っていて、それが自分の肥満傾向にブレーキをかけるタイミングを遅らせるのではないか、というのです。
          あなたのお考えはいかが?

          体型には、文化的、経済的、社会的な背景がある。単にエネルギーの出納の問題としてだけ考えるわけにはいかないようです。

          体重を気にして精進料理に関心を示す人がときどきいらっしゃいますが、そういう方は、すでに体重を気にするような体型ではありません。日本文化に関心を示す文化的センスが、その人の標準的体型を決定しているのではないでしょうか。

        • ◆生き方としての作法
          食事のとき「いただきます」と言ったり、祈ったり、十字を切ったりするかしないかは、国による違いと言うよりも、宗教による違い、家庭による違い、そして、最終的には個々人のライフスタイル(価値観、生き方)の違いと言えるでしょう。

          精進料理の作法では、もちろん「いただきます」と、「ごちそうさま」は、より丁寧に、供する人、同席する人に聞こえるように唱えます。「唱える」と言うと宗教的なニュアンスが強くなりますが、「言う」では軽い。「唱える」と「言う」の中間くらいの表現がほしい。

          ◆慈しみや感謝の心
          とはいえ、この「いただきます」や「ごちそうさま」も、いまでは宗教的意味はうすれ、生活習慣やマナーとして日本家庭に定着しました。食材となる動植物に対する感謝と慈しみ(いつくしみ)、作物を採取したり栽培したり、流通したりする人々への感謝、そして、その食事や料理を作ってくれた人、その安定を生み出している人への感謝、との解釈が一般的でしょう。

          ◆健康行動として
          もう一つ、忘れてならないのは「健康行動科学」的な視点です。一つの行動から次の行動へと移るとき、モードチェンジの意味で「いただきます」と自分に言い聞かせる。一口目の汁物同様、全身が食事モードに切り替わります。味覚や胃腸をはじめ、心身ともに準備態勢に入ります。アスリートの「ルーティーン」と同様でしょう。

          とすれば、一人で外食をするときでも「いただきます」や「ごちそうさま」は、つぶやいたほうがご自身の健康には明らかにプラス。

          仕事を始めるとき、車の運転を始めるときなども、黙って開始するのではなく、なんらかのルーティーンがあったほうがよい。実際、そうしている人や職場も少なくないことでしょう。

          日本では、学校給食のときに、いっせいに「いただきます」と唱えることに対して、「給食費を払っているのだから、そんなの言う必要はない」と、学校にクレームを入れた保護者がありましたが、なんとも淋しい、非健康的な反応でしょう。

        • ◆「勿体」の語源
          「もったいない」という言葉は、日本人と接したことのある外国人を通して、ある程度は世界に知られるようになったようです。各国にも、それに近い訳語はあるのでしょうが、ぴったり当てはまる言葉は少ない。それならば「もったいない」を世界語にしてしまったほうが早い、という認識が一部の外国人に生まれているとも耳にします。

          「もったいない」には「神仏や貴人に対して不都合、過分のことで畏れ多い、そのものの価値が生かされない」(「広辞苑」からの要約)などの意味があります。

          「勿体」(もったい)の語源には諸説あって確定はできませんが、仏教語としては「修行者としてのあるべき姿」であり、精進料理では、「命ある自然の恵みをいただくからには、それを粗末には扱わない」という意味で使っています。

          ◆散る花も、もったいない
          食事や食品を残す(結局は捨てる)、余分に盛りつけて残させる、まだ使えるものを捨てる、お金を浪費する、満開の桜の花が風で散るのを惜しむ、人からのアドバイスを聞き入れないなど、日本人の人生は「もったいない」という自戒と向き合う人生でもあるようです。それが日本人の謙虚さの源泉の一つでしょうか。

          ◆アメリカで「小盛り」を
          ところで、アメリカなどで暮らしていると、一人分の食事やスイーツの量の多さに圧倒されます。残すのは「もったいない」と、がんばっていただくか、二人で一人前をオーダーするか、対策はいろいろ。日本でなら、「小盛りでお願いします」の一言で済むことなのに。

          分量の多い「一人分」をがんばっていただいたときに、「よくやった」と自分をほめてあげるか、過剰なエネルギー摂取によって体重オーバーになってしまうことを「もったいない」と考えるか、日本人にとっては軽視できない難題です。

          「二人で一人前主義」を貫くか、ここでも「もったいない国」を代表して「小盛り」(ハーフサイズ? ベビーサイズ?)の新設を提案してみるか、さてさて。
          (えっ? もうやっている、ですって? さすが!)

        • ◆おすしは箸? 手?
          日本中、外国人旅行者が急増中で、おすし屋さんでも、箸を使って食べる欧米系の外国人も普通に見られるようになりました。昔は「すしは手で食べるもの」とされていましたが、食堂や回転ずし店で食べる人が増えたためか、箸で食べるのが普通になりました。

          すし店以外の和食店でも、箸を使いこなす欧米系外国人をよく見かけます。

          一方、ラーメン店が世界中に広がっていますから、いまや箸の文化は、日本がイニシアティブをとって広めている感じです。

          こうした食文化の衝突、いえ融合は、一見静かに進行しているように見えますが、フォーク文化圏の人が箸を使うことによって、今後、食事のカタチが変わってくる可能性があります。

          ◆お皿に口をつける人
          欧米人は、お皿に盛った料理を口につけて食べることはしません。マナー的にご法度だからでしょう。ところが、そのご法度を破りかかっている欧米系外国人旅行者を、近頃の東京では見ることができます。

          先日、ある中華料理店で、中年の欧米系外国人がギョウザを食べていましたが、ギョウザが熱かったのか、ギョウザの皿を口元まで持っていって、少しずつ食べているのでした。
          でもこれは、その人がマナー違反をしたのではなく、
          「郷に入れば郷に従え」の格言を守っただけのこと。
          最近の日本人には、小皿に盛ったご飯(ライス)を食べるとき、皿の縁に口をつける人が多くなりました。

          高齢者には「皿に口をつけるな」と言う人がいらっしゃるでしょうが、現実には、皿に口をつける食べる人が増えています。
          外国人旅行者は、どこかでそういう様子を見て、それが日本流と理解したのかもしれません。
          片手に箸、片手に食器という食事のスタイルは、食材や料理の種類、献立の配置、食べる順序などにも影響を与えることでしょう。

          アメリカにいらして、地元の人の食事風景を毎日のように見ておられる方は、もっと細かな観察ができるのではないでしようか。しばらくは、食文化研究家の視点で、ご自身および周囲の方の食行動を観察されてはいかがでしょうか。

        • ◆木製食器の文化
          アジアの多くの国は、今も「木の文化」を継承しています。家、橋、家具、食器など。とりわけ日本では、食器に木を使う割合が高いようです。箸、椀、さじ、盆、皿などがその例です。
          これらは実用の範囲を越えて、漆器のように朱・黒・金といった色の深みを楽しんだり、彫刻を施したり、形状のバラエティを誇ったりと、美術品としての地位をも与えています。

          それだけに愛着も生まれ、家族でも夫、妻、子供などが「銘々箸」(めいめいはし)や「銘々茶碗」を使う家庭が少なくありません。

          生活器具は一秒でも長持ちするようにと耐久性を重視するのが現代です。そのため、陶磁器、金属器に加えてプラスチック食器が日々普及を続けています。

          ◆更新のタイミング
          そんな時代に、あえて劣化が早い木製食器も使い続ける日本人の食文化観とは、どういうものでしょうか。

          そこからは、木製器具の弱点を逆手にとって、生活にメリハリをつけようという、したたかな暮らしの知恵が感じられます。箸や椀であれば、傷んできたことに気づいた時点で更新すればいいこと。なのに、あえてそうはしないで、新年とか、誕生日とか、しかるべき吉日を待って、そのタイミングで一新したりします。

          この日本的伝統は、物を少しでも長く使おうという「もったいない精神」と、新年や吉日には、心機一転、新たなモチベーションで臨もうとする再生の精神とが融合した食文化でしょう。

          ◆マンネリ打開の一歩
          「日常茶飯事(にちじょうさはんじ)」とは、ありふれた、平凡なことのたとえですが、日本人の食生活は、けっして惰性を許容するのではなく、むしろ、適宜変化をつくり出してゆく意欲に裏打ちされていると言えそうです。季節感、「熱い・冷たい」の適温、食材や調理法の変化、食器の配置の工夫などは、私たちが意識しなくても、生活習慣として身についています。

          生活にマンネリズムを感じるとき、いま使っている食器の更新時期を考えたりすることで、心機一転のきっかけをつかむ最初の一歩になるかもしれません。

        • ◆「日本人らしさ」とは
          「らしい」や「らしく」は、日本人の価値観を表わす伝統的な言葉です。かつては「男らしく」「女らしく」「日本人らしく」などもよく使われましたが、この「らしく」は、個性や多様性を抑制する表現として、いまは非難されたりします。
          とは言え「可愛らしい」「あなたらしい」、そして新顔の「自分らしく」も加わって、「らしい」は、相変わらず、日本人にとっては欠かせない表現法です。

          ◆春夏秋冬の「らしさ」
          食生活においては、「らしさ」を軽視すると、食事が味気なくなったり、お相手に失望させたりします。
          この場合の「らしさ」は、春夏秋冬であり、朝食らしさ、昼食らしさ、夕食らしさ、晩酌らしさなどです。
          精進料理では、場所限定ですが、殺生を禁じて肉や魚、卵などの動物性食材を使わないことが「精進料理らしさ」の大原則です。

          これらの「らしさ」は、けっして個人の自由度を縛るものではなくて、むしろ生活にメリハリをつけるアクセントになります。

          ◆異国でも季節感を体感。
          近年は、日本人が世界の各地で活躍されています。
          現在、生活していらっしゃるお国や地域には、四季がないところもあるでしょう。
          それでも、日本の四季を経験したことのある方にとっては、できる範囲で、季節感を味わうことは意味があることと思います。

          春ならば、桜色や菜の花色のお花を食卓に飾るとか、魚介類で酢の物や和え物を作ってさっぱり感を演出するとかの工夫をするのも一案。そして、朝食にはご飯を炊いて、みそ汁や、手に入るのであれば納豆や大豆製品を召しあがるなど。
          季節感や、朝食らしさ、夕食らしさなどは、異国では、意識の外に行ってしまうことがあるでしょう。
          そうした環境にあっても、季節の移ろいに気づくこと、そして季節感を体感すること、それは、超スピードで過ぎてゆく人生の一刻一刻を楽しむことにほかなりません。
          日本人が世界でトップクラスの長寿国であるのは、日本食の栄養的効果だけではなく、季節感を楽しむ心のゆとりにも一因があるのではないでしょうか。